将来のための勉強?

最近、立て続けに卒業生から連絡がありました。
ふたりとも、「就職試験に必要なので、高校数学をみてもらえないか?」との趣旨です。

最初に連絡があったのは小6、中1の二年間を遠くから通ってくれたA子ちゃん。
大学は卒業し、23歳の夏になっていました。
小学校の分数もなかなか理解が進まず、本人も私もとても大変だった鮮明な記憶があります。
「10月に地方公務員試験を受けたくて、その種の試験対策をしてくれるスクールに通っているが、数学がなんとも分からない。先生に教えてもらいたいのです。他に頼るところが無いのです」と言われると、(小学校の算数がかなり辛かった子に数か月で高校数学(公務員試験などの数学は高校数学まで含まれます)の一部にせよマスターさせることはできないだろうな・・・)と思いつつも、つい引き受けてしまったのです。

思った通り、それはそれは大変な3か月になりました。
週に2回から3回、お弁当を持って熱心に通ってくれたのですが、結局、分数はしっかりした理解には及びませんでした。
方程式の計算は何とかルールを理解したようですが、文章題はあやふやなまま。
「受かったら必ず報告しますね!」と言って再卒業(?)していったA子ちゃんから、連絡は入りませんでした。

二人目からの連絡は、秋になったころ。中3まで通ってくれたB子ちゃん。
「大学3年生になって、保育士になる夢ができました。そこで地方公務員を受けるための勉強を始めたが数学が箸にも棒にもかからない。高校数学は最初から捨てていたので、まったく残っていない、何とか助けてもらえないでしょうか?」との話でした。

A子ちゃんで懲りていた私は、やんわりとお断りするしかありませんでした。

私は、ふたりとのやりとりの中で、昔から入塾の際にお母さまからお聞きしてきた決まり文句のようなものを思い出していました。
それは「この子に、すごく良い成績を取ってほしい訳ではないのです。ただ、将来何かやりたい夢や、行きたい大学ができたりした時に、あきらめなくても良いぐらいの学力はつけておいてやりたいのです」という言葉です。
正直なところ、「親心は分かるけれど、子どもはそんな風には考えないだろうに」と思ったものです。

子どもの将来の夢といってもコロコロ変わるし、もともと夢なんて「わかんなーい」という子も多いし、ずっと同じ夢を抱いている子の方が珍しいものです。
「将来、もし何かやりたい事が出てきた時のために保険として勉強する」という発想は、ほとんどの子ともにとって『今勉強する』動機にはならないのです。
それは大人の発想でしかないのにな、というのが私の思いだった訳です。

ところが、今回の二人の経験で「なるほど、将来を心配する親御さんの言葉は重みがあったのだな」と思い知りました。

しかし。
私はやはり、「将来何かあった時のために」勉強しなさい、と子どもに言い聞かせる気にはなれないのです。
子どもには分からないだろう、ピント来ないだろう、という理由だけでは無く、
「そもそも勉強はそういう目的で続けるのは無理だよね」としか思えないからなのです。

今、楽しくなかったら「将来のために」と言われたところでやる気にはならないと思うのです。
いつ来るか本当にそういう時が来るか、分かりもしないし実感できない未来のために、今現在を「我慢」して「嫌いな勉強をする」ことに従う子どもがいるでしょうか?
いるとしたら、自己管理ができる秀才君か、もしくはかなり調教(失敬)された、「大人のミニチュアな子ども」ではないでしょうか。

子どもたちは大人とは違って「今」「この瞬間」を生きているのです。
「今、楽しいと思える」ことが彼らにとって大切なのです。

「そうなんだ、こういうことなんだ」と驚き、納得し、楽しくなるような実験や教具を体験してほしい。そうして「理解する楽しさ」を知ってほしい。
「将来困るから勉強しよう」という、子どもにとっては「お題目」でしかない理由では無く、実体験を通して「算数もなんか楽しいじゃーん」と思ってほしい。
その積み重ねが「今やってる所はちょっとシンドイけど、またきっと楽しいことがあるから勉強しよかな」と思える、つまり見通しを持って忍耐ができる子どもに育っていく道筋なのではと思うのです。

ロビンウィリアムの「いまを生きる」という映画を思い出し、もう一度観ようと思う今日この頃でした。