あけましておめでとうございます。

↑冬のポンタです

あけましておめでとうございます。

教室を始めて今年は29年目となります。
本日は少し昔話(?)を。

始めた年は自分のこどもが二人、友人の子どもが3人。
5人でこたつを机がわりに勉強していました。

新聞にチラシを入れたのはスタート時と事務局から先生を招いた講演会の二回だけ(宣伝にお金をかける余裕も無かったのですね)
当時は「ホームページ」なるものを自分で作成するなど思いもよりませんでした。

友人知人の口コミのお陰で、5年後には生徒さんは20人を超えました。
10年後、50人以上の生徒さんを相手に毎日てんてこまいの日々が始まります。

ひとりではどうにも回らなくなった時、お手つだいの方にも恵まれました。
水道方式の紹介をテーマに一般の方向けに開いていた「お母さんの算数教室」を受講してくれたお母さんの中で、特に強く興味を持ってくれた方にお声をかけては助手さんをスカウト。
狭い教室に12人の生徒プラス私と助手さん3人、キチキチで勉強する年もありました。
とうとう座る場所がなくなった私は立ったまま壁にプリントを押し付けて採点することも・・・今となっては懐かしい記憶です。

この仕事にやりがいを感じ、面白くて仕方なかった私でしたので、家事は「子どもたちが生きていける程度」にしかやっていませんでした。
息子に「母さんは何にもしてくれない!」と憤慨されたこともあります(まさにその通り)

それでも息子も娘も大きくなってからは教室で助手を務めてくれたり、晩御飯を作ってくれる時もあり、いろいろな面で助けてくれました。
このサイトも息子に作ってもらいましたし、もう結婚して1歳の子どもがいる娘が子連れで助手に入ってくれることもあります。
そのお陰で今があると感謝しています。
子どもたちにすれば「母さんは塾をやらせておけば元気そうだから、まぁやらせておこう」という所かもしれませんね。

この30年近い仕事の中で「子どもたちは本当に学力をつけて育っているのか」がいつも気にかかり、心配の種でした。
学校現場の難しさは理解できますが、それでもひとりひとりの子どもに対する公教育の無力さは年々増していると思うのです。

先日、台形の面積公式をちゃんと覚えている中学生に
「うん、そうそうその通りだね。で、どうしてその公式で台形の面積を求められるのか説明できる?」と聞いてみると
驚いたように私を見て、「わかりません」と言います。
「何故」と聞かれるなど思いもよらない、といった様子でした。

こういう例には事欠きません。
「公式(や解き方)を覚えて、より早く正確に答えを出すのが勉強の目的」と考えている(教え込まれている?)子どもや父母が多いように思われます。
 
かたや、ずーっと教材とにらめっこして図形の角度を求めていた生徒がやっと採点させてくれ「おお、これ難しいのによくできたね」を声掛けすると
「あってましたか!それ、めっちゃ考えたんです」とニッコリしてくれたことがあります。
この「めっちゃ考えた」時間はその子だけの大切な宝になるのではないでしょうか。

所詮、我が塾のような弱小教室が公教育の穴を埋めようとしたところで「ごまめの歯ぎしり」でしかありません。
自分の無力さにがっくりくる日もあります。
しかし、(皆さんご存じかもしれません)有名なヒトデの話をいつも思い出すのです。

ひとりの男が嵐で岸に打ち上げられたヒトデを拾っては海に投げ返していました。
通りかかった人が「見渡す限り打ち上げられたヒトデだらけなのに、一匹ずつ拾って海に返してやったって、意味は無いだろう?」と問うと、その男は
「少なくとも私が投げ返した一匹は、海に帰ることができるからね」と答えた、というあのお話です。
 
「算数って何をやってるかわかんないからつまんない」
「やり方が覚えられないし、覚えてもそれをどう使えばいいのかわかんない」
「数学なんてつまんない」
という子どもたちに、自分のできる範囲で寄り添い、伴走していきたい。
 
「算数ってこういうことだよ」
「このやり方って、こういう意味だよ」
「数学はみんなの生活の中にちゃんとあるんだよ、算数も数学も意味が分かると楽しいよ」
と語る仕事を、この先も楽しんでいこうと思っています。